故郷の田んぼが自分の原点
生まれ育った大田原の田園風景が、子どもの頃から大好きでした。遊園地に出かけていくよりも、田んぼを眺めながら気持ちいい風に吹かれていたい。その想いはずっと変わりません。4 人姉妹の長女ということもあり、いずれは農家を継ぐつもりで、東京農大短期大学部に進学しました。
家は江戸時代から続く米農家。私で 15 代目になります。父から譲り受けた田んぼは約 12haで、今は麦や大豆も加えて 18.5ha に増えました。酒米と直販が 2/3、残りを農協に出荷しており、田んぼはほぼ 1 人で管理しています。
他界した父の後を継ぎ女性が一人で農業を担う
結婚して他県に暮らしていた 32 歳のとき、父が病に倒れたのをきっかけに、3 人の子どもを連れて実家に戻ることに。父の闘病生活は 5 年間でしたが、父から農業について十分学べたとは言えません。首都圏に勤務していた夫が仕事を辞めて手伝おうか、と提案してくれましたが、亡くなる前に父が言った「女一人でもできっからな」の言葉を信じ、自分でやってみようと決心しました。
とはいえ、大型特殊免許を取得しても、トラクターやコンバインを乗りこなすのは至難の業。慣れない圃場で奮闘している姿を見かねて、父の兄弟や親せき、近所の方々が手伝いに来てくれました。また、わからないことを農協の営農指導員の方に教わったり、繁忙期には那須町の方が助っ人に来てくれたり、周りの方から力を貸していただけたのは、父が地域の方々とのつながりを大切にし、培ってきたご縁のおかげでした。いつも心のなかで「ありがとう、お父さん」と手を合わせています。
歴史ある農家の蔵をリニューアル
数年前から教育旅行の学生さんたちを受け入れています。おもに首都圏の子どもたちで、農家に泊まって農作業を体験するというもの。さらに長男が学ぶ東京農大の友人たちも、たびたびやってくるようになり、父もここをグリーンツーリズムの場にしたいと夢見ていたことを思い出しました。
敷地には古い蔵がいくつもあるのですが、その中に大テーブルに使える立派な 1 枚板などの建材が何枚も残っていました。そこで蔵の中を片付け、一つは宿泊(5 人)と物販に、一つは宿泊(5 人)と食堂、もう一つは本格的な調理場を備えた工房兼食堂へリフォーム。もみ殻でご飯を炊く「もみ殻かまど」を近所の方から譲り受け、ここでしか味わえないご飯を用意しています。 農家民宿の名前は『花園創』。花園はここの地名で、一般の方々や外国人旅行客を受け入れ、地元の方たちも巻き込んで一緒に大田原の暮らしを体験してもらいたいとの想いを込めています。現在は、高校を卒業した長女が農泊の取組に意欲的で、一緒に農家民宿を運営しています。ステキな出会いが生まれ、農家の枠を広げながら、人と人のご縁をつなぐ交流の場を提供していきたいと思っています。